大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
今月のテーマ: ヒアシンス

ヒアシンス  室内に置いた水栽培のヒアシンスが日一日と伸びて、鮮やかな花を開いたときの喜びはいつも印象深く鮮烈だ。冬に戸外に咲く花はとても少ない。いまでも花好きの人々にとって冬はさびしい季節である。

 ヒアシンスは地中海東部から小アジアに野生する原種から改良されたユリ科の園芸植物で、代表的な球根植物でもある。早春に伸びた茎の先にたくさんの漏斗形の花が密集した円筒状の花序を出す。

 ヒアシンスの名前は英語のhyacinthによるが、この英名は古代のギリシア語によっている。しかし、もともとは古いトラキア・ペラスギス語で植物の蘇生を司る神の名前であったらしい。

 ギリシア神話ではアポロの投げた円盤に当たって死んだ美少年の名をヒィアキントス(Hyacinthus)といい、その血から生じた花のひとつがヒアシンスといわれている。だがその植物はヒアシンスではなく、グラジオラスだという。漢字では風信子と書く。詩人、立原道造は『風信子』と題する詩集を発表し、この名を広めた。

 ヒアシンスは一五四三年にイタリアの世界最古のパドヴァ植物園で栽培されていた。以後ヨーロッパ各地に広がっていくのだが、十七世紀にはどこに家の庭でもみる、ありふれた植物になっていたらしい。

 フランスとオランダで改良が行われ、ローマン系とダッチ系の園芸品種が生み出されたが、後者の方が普及した。とくにチューリップ狂時代の後に、ヒアシンスがもてはやされ、二千もの園芸品種が育出されたといわれている。ちなみに現在栽培されているのは五十位である。

 水栽培が広まったのは十八世紀で、暖かくすれば冬でも開花することが判ったことはヒアシンスにとって幸運であった。ヒアシンスは冬を代表する花となった。クリスマスには女性の胸を飾るコサージュになると書いた園芸家もいた。

 水栽培もそうだが、戸外でも春の訪れを期待できそうになる季節に咲くヒアシンスは、花が単純で色鮮やかな系統のものが好まれるようだ。花の少ない季節は、園芸品種の千変万化ぶりを楽しむのではなく、率直に花をそのものを愛でる気持ちが強いからだろう。

 暖かい地中で冬眠し早春に咲く球根植物は、春の訪れを知るのうえに欠かせない。ヒアシンスによく似た球根植物に同じユリ科のムスカリやスキラなどがある。しかしムスカリの花はヒアシンスよりもひとまわり小さく、先がくびれて壷形になる。ムスカリとは麝香のことである。すがすがしく爽やかなヒアシンスの芳香と比べ、くせのある香りを発するムスカリは室内では育てない。スキラは逆に花びらがヒアシンスのように合着せず基部まで分かれている。日本ではかつてはよく見かけた秋咲きのツルボはこの仲間だ。

 ヒアシンスはムスカリやスキラ、それにもうひとつポピュラーな球根植物であるチューリップなどに比べると、植物自体にも花そのものにも変化が乏しい。これは、遺伝的な多様さの欠如によるものと考えてよい。というのは、ヒアシンス以外は、園芸品種の育成に複数の野生種が交配親としてかかわっている。だがヒアシンスは、すべての園芸品種がただ1種の野生種に由来するのである。

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Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。