大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
今月のテーマ: ネコヤナギ

ネコヤナギ  朝の日を浴びて川面から朝もやが立ち上がる季節が好きだ。私の記憶のなかでそれは春の兆しと結びついている。同時に川原のネコヤナギのことも。

 ネコヤナギは全国のいたるところの川原に普通に生えていたヤナギであったが、川原自体が減ったこともあり、以前ほどには見かけなくなった。それでも日本ではいちばん普通のヤナギのひとつであろう。

 まだ木々に葉が開く前に花が咲く。ネコヤナギの花芽がほころびると、春はもうすぐそこまでやってきている。そういう予感がする。

 ネコヤナギに限らずヤナギの仲間には雄の木と雌の木がある。雌雄ともその花は小さく、たくさんの花が密集した繭のようなかたちをした花序をつく。芽だしの直後の花序は柔らかな銀灰色をしていて、それが光線の具合で輝いてみえることがある。

 ヤナギの仲間(ヤナギ属)は世界におよそ350種があって、オーストラリアを除く世界中に分布している。日本には30種がある。ネコヤナギのように水辺に生える種が多いが、山岳の稜線のようなところに出現する種もみられる。ポプラの仲間であるヤマナラシ属とともにヤナギ科に分類されるが、ヤマナラシ属とのちがいは、冬芽がたったひとつの小さな帽子状の鱗片葉に包まれていることと花序が直立して出ることなどである。風媒花のヤマナラシ属にたいしてヤナギ属の方は虫媒花というちがいもある。

 属名のSalixはヤナギを指すラテン語であるが、語源的にはケルト語で、水を意味するlisと近くをいうsalが組み合わさった語だといわれている。因みに古代ギリシアではiteaで、この語は現在ユキノシタ科のズイナ属の属名に用いられている。

 日本のヤナギの分類に一生を捧げた東北大学名誉教授の故木村有香博士は、ご自身の学問を楊柳学iteologyと呼ばれていた。ヤナギの仲間は形態も特殊化していて、その研究には普通の植物とは別の専門性が要るという主張を込められていたのだと思われる。

 ネコヤナギの和名は柔らかな毛が密生した花序猫の尾になぞらえたものといわれている。ネコヤナギの花序が現われるのは葉が開くには寒すぎる時分である。その猫の尾にも似た毛はちょうどセータ−のように花を保温する働きをしていることが判ったのである。

 話は飛ぶが、ヒマラヤの高山に植物の体から生える毛を使って花や茎の生長点を保温している植物があり、私たちはこうした植物のことをセーター植物と呼んで研究してきた。研究を進めていくうちに、セーターを着る植物は何もヒマラヤの高山だけでなく、私たちの身近にもあることが判ってきた。早春に咲くコブシやヤナギの花がそれで、控えめながら密生した毛で編まれたセーターを着用している、といってよい。

 ヤナギの花序は春の訪れを告げる。正月の花として生け花の材料に利用される。ネコヤナギの雄花序は、真っ赤な裂開前の葯、花粉をさらけ出した黄色の裂開後の葯、それに白色の花糸によって、白、黄、赤の3色の色分けされて一目を引く。花序が黒褐色となるクロヤナギはネコヤナギの変種で、クロメヤナギの名前で市場にも出回っている。

 今年もヤナギの芽吹きは早そうである。

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Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
ヒマラヤに花を追う−秘境ムスタンの植物− 2005年2月4日、大場秀章先生が中心メンバーの調査チームがネパール王国のムスタン地域で行った現地踏査の成果をまとめた著書「ヒマラヤに花を追う−秘境ムスタンの植物−」の出版を記念して、講演会が開催されました。
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。