大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
今月のテーマ: アセビ

アセビ  東京でアセビが花咲くのはサクラの花からだいぶ過ぎてである。鹿児島県ではヒガンバナとかヒガンギの方言が知られていて、春のお彼岸の頃にアセビは満開になるのだといわれている。 春の花の多くは温暖化の影響で開花が早まっている。アセビもそうで早い年は3月下旬には咲いてしまう。

 私は小さな蝋細工のように白い花が鈴なりに花序につくアセビの花が好きだ。なかでも印象に残るのは枯葉や枯れ枝も多かった奥多摩の尾根径を彩っていたアセビとパリのバガテル公園に植えられていた満開のアセビである。尾根のアセビは雪模様の暗い空の下を細々と続く径に清楚ではあるがいかにもさびしい標のように咲いていたのである。その花には青春の思い出が重なる。一方パリのアセビは豪華で華やかだった。花もさることながら、同時に出た新葉や紅色をした苞葉との色の協奏には目を見張った。

 アセビは関東地方から西にはよくみるが、東北や北陸地方ではあまりみかけない。葉には呼吸中枢を麻痺させる成分が含まれていて、誤って口にした馬が痺れたことから、アセビに馬酔木の漢字が当てられる。昔は皮膚病や害虫駆除にその葉を使用した。方言をみるとウジハライのように用途が判るものに混ざって、バチバチバナとかバッチンコなどの名がある。山里では花序に鈴なりに群がって咲く花を子供たちがバチバチつぶして遊んだことに因む。

 アセビはツツジ科の低木で、学名をPieris japonicaという。属名のPierisはギリシア神話に登場する地名ピエリア(Pieria)によっている。ムーサ(ミューズ)の女神を崇める信仰はオリンポスの北麓にあったピエリアという土地から起こったとされ、それゆえムーサはピエリデスとも呼ばれたらしい。アセビ属で最初に発見された種はヒマラヤ東部に分布するヒマラヤアセビで、その学名をPieris formosaという。formosaは美しいという意味で、このアセビはよほどヨーロッパの植物学者に美しいと思われたのであろう。

 アセビ属には10種ほどがるが、1種を除きヒマラヤから日本など東アジア地域に産し、ただ1種アメリカアセビが北アメリカ東南部に分布する。東アジアと北アメリカ東部あるいは東南部と遠く隔てた地域に分布するアセビ属の分布は奇異に思われるかも知れないが、似たような分布パターンをもつ植物は結構ある。早春に咲くマンサクもそのひとつだ。

 日本で目にするのは、アセビのほか、オキナワアセビやタイワンアセビで、ともに観賞用に栽培される。ただ、アセビを含むこれら3種は相互によく似ていて、同種として分類する説を唱える学者もいるほどである。

 アセビの仲間は野生種そのものが十分に観賞価値をもつせいか園芸品種の育成は盛んに行われているとはいいがたい。アセビでは花や葉が紅紫色になるものや、葉の斑入りなどがあるくらいだ。

>> バックナンバーはこちら


Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
ヒマラヤに花を追う−秘境ムスタンの植物− 2005年2月4日、大場秀章先生が中心メンバーの調査チームがネパール王国のムスタン地域で行った現地踏査の成果をまとめた著書「ヒマラヤに花を追う−秘境ムスタンの植物−」の出版を記念して、講演会が開催されました。
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。