大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」 |
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テーマ: フクジュソウ |
英語で福寿草の仲間のことをピーザンツ・アイ(Pheasant’seye)という。これは、「雉の目」の意味であり、いまひとつ私たちにはピンと来ない。 ピンと来ないといえば、福寿草が分類されるフクジュソウ属の属名アドニス(Adonis)だ。アドニスはギリシア神話に登場する美の女神アフロディーテに愛された美少年であり、野猪に殺されたことで知られる。アドニスの死を悲しんだ女神の涙が少年の血と混ざり合って咲き出したのがアドニス、すなわちフクジュソウの花なのだそうだ。 福寿草は日本では正月の花であり、お目出度い花の代表である。その花にいくら美少年とはいえ血は馴染まない。第一、あの鮮黄色の花は血のイメージからも遠い。 福寿草を含むフクジュソウ属には26種があって、ヨーロッパからアジアの温帯にかけて分布している。この26種の中には日本の福寿草のように黄色の花をもつ種もあるが、日本ではアキザキフクジュソウやナツザキフクジュソウの名で知られる、 アドニス・アンヌア(Adonisannua)やアドニス・エスティワリス(adonisaestivalis)のように、朱紅色や暗紅色の花色をもつ種もあるのだ。ヨーロッパで栽培されるのは主にこれらの紅花種で、血と涙の結合の話や「雉の目」を意味する英名もこの紅花種によっている。 正月の花とする福寿草は、学名をアドニス・アムレンシス(Adonisamurensis)といい、日本を含む極東地域に広く分布し、野生のものがそのまま栽培に持ち込まれた。これをもとに生み出された、「秩父紅」や「日の出」のような赤花系、「銀世界」や「弁天」のような白花系、「玉孔雀」のような緑花系、「寿」に代表される段咲き系に分類される園芸品種がある。正月の花とする福寿草には葉がほとんど見られないが、花後には複雑に切れ込んだ葉が急速に伸びてくる。野生状態では花が咲くときに葉が開いていることもあり、北方の個体ほどその傾向が強い。 えっ、と思われるかも知れないが、植物学的にみると、フクジュソウの花は単花被花である。つまり、フクジュソウは萼と花冠の区別がない花びらをもっているのである。あの花弁状に見える部分も萼に見える部分も通常は萼片と呼ばれる同一の器官というわけだ。 お目出度い福寿草ではあるが、有毒植物でもある。ジギタリスのような強心作用があり、この性質を利用して強心利尿薬に用いることもあることを付記しておく。 ところでアドニスはギリシア神話で「植物の神」とも見做されている。というのも、アドニス(フクジュソウ)が地上から姿を消すのは秋と冬だけで、春と夏には再び現れるからだそうだ。早春の短い一時期だけに地上に姿を現わし残りの期間を地中で休眠して過ごす植物はイチリンソウやカタクリ、アマナなど日本の温帯にもかなりあり、こうした花が咲き始める日々の訪れが待ちどうしい。フクジュソウもそのひとつであったのだろう。福寿草の方言にはマンサクと同系の春一番に花を開くことから来るツチマンサグ(岩手県)やチヂマンチャク(秋田県)、マゴサグ(青森県)などの方言が記録されている。冬の長く雪深い東北地方では春の訪れを告げる福寿草の開花は大きな喜びに通じていたことだろう。今でもそう思うのだから昔はなおさらである。 牧野富太郎の『牧野日本植物図鑑』(1940年)をみると、「獻(献)歳花草として元旦に用いるを以って之れを祝福し此佳名を附せしものなり」と記している。しかし、福寿草の花が自然状態で咲き始めるのは、浅いところの根雪が溶け始める頃である。この開花の喜びを新暦の正月に重ねることができるようになったのは品種の改良や栽培上の工夫という、園芸技術の進歩があったればこそなのである。 |
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