大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」 |
|
テーマ: ハス |
ハスの多くの花弁が整然と重なり合う様は実に端正である。お釈迦様が座す蓮台はハスの花の姿を模したものである。 ハスには2種がある。そのひとつは北アメリカと南アメリカ北部に分布するキバナハス、一名アメリカハスNelumbolutea。この花は黄色で、日本でも栽培される。昭和天皇のご成婚時に寄贈された種子から育成された「王子蓮」が有名。他のひとつがハスNelumbonuciferaで、アジアとオーストラリアに分布する。 水に恵まれた日本では、ハスの栽培は容易である。古来から栽培が行われてきた。もともと日本に野生していた可能性が高い。ハスは夏の早朝の清々しい空気のもとで、音をたてて開く。いかにも高貴な花らしい開花の様ではないか。 大賀ハスは、大賀一郎博士が千葉県の検見川のおよそ2000年前の地層から見つけ出した種子を発芽させ開花させた古代のハスである。2000年の眠りから目覚めたハスを眺めていると、ついつい2000年の去来を考えてしまう。人の世は大きく変わったが、目の前のハスは今のハスと少しもちがわない。 ハスはスイレンと同様に水生の植物であり、ハスのあるところには「生命に欠かせない水」が必ず存在する、といってよい。 今からおよそ1万年前、寒冷な氷河期が過ぎると、地球の中・低緯度地帯の多くの地域では年々降水が減り、乾燥に見舞われることになった。人々は水を求めて移動し、最終的には大勢に人々が大河川の周辺に集まって暮らすことになった。水を求めて、それこそ生死のはざまをさまよい歩いた古代の人々にとってハスやスイレンは九死に一生の、まさに生命を象徴する花にみえたことだろう。ナイル文明では墳墓にスイレンを描くのを忘れなかった。 しかし、これらの人々を従来のような採取生活だけでは養うことはできない。ナイルやチグリス・ユーフラテス川、インダスや黄河の流域などでは種子を播いて食料を生産する作物栽培や野生動物を飼育する牧畜が発達した。こうした農業の発明が文明発祥の礎となったのである。 人類を襲った乾燥への恐怖感が去った後も、ハスやスイレンの花は、人の心の奥に強く焼き付けられたことだろう。ハスの花は大きくたくさんの花弁が重なり合い、八重咲き様である。スイレンも同様である。 花を愛でる系譜はひとつではないかも知れないが、ハスやスイレンは明らかに原像のひとつになったことは間違いない。すなわち、大きくて八重咲きの花を愛する系譜はハスとスイレンに通じる、というのが私の見方である。八重咲きのキク、そして一重だったバラも八重咲きにして愛でることになった。いまでも品種改良で多くの育種家がめざす目標は、一重を八重に、そしてより大きな花をつくり出すことであろう。ハスがそのモデルであることは明らかである。 |
>> バックナンバーはこちら |
|