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大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
 
 
テーマ: フジ

フジ  日本の植物を研究し、海外に紹介して、ヨーロッパの庭園に広めることに成功したシーボルトはフジ(ノダフジということもある)に強い関心を寄せていたふしがある。自分も著者のひとりであった『フロラ・ヤポニカ』(日本植物誌)で、次のように記す。
「このつる植物は日本で広く栽培されている。種々の庭園や寺の周囲などで、アーケード形に作ったり。あるいは棚作りにしたりする。(中略)幹は、7.8mから9.8m四方の藤棚を形作る。そこから、しばしば1mほどの長さになる青色のたくさんの総状花序が垂れ下がり、素晴らしい効果を上げる。フジが四・五月にひとたび花をつけると、世のすべての階層の人々がこの藤棚のもとに集い、米でできた一種のビールである好みの『サケ』を飲み交わし、器楽の調べに合わせて舞いかつ歌って楽しむ。即興で詩を作り、それを短冊に書いてこの上なく美しい花房に掛けたりする。日本の文学には、春の象徴であるフジを讃えた素晴らしい機知に富んだ詩がたくさんあり、また歩廊には花をつけたこの低木を描いた貴重な絵画が掛けられ、祭りの時には、高貴な場所の客間を飾るのに用いられる。(以下略)」
『フロラ・ヤポニカ』のこの部分が出版されたのは1839年12月である。和暦でいえば天保10年であるが、このシーボルトの記述を脳裏に思い描くことはさして難しくもないだろう。もっとも昨今では歌舞音曲はともかく、詠んだ和歌や俳句を花房に掛けるような風雅な遊びはたいへん稀なことになってはいるが。

 日本のフジに最初に学名を与えたのはドイツ、ベルリンの植物園で研究をしていたウィルデナウだった。しかし、彼はフジの植物学的な特徴を十分解き明かすことはできず、大豆などと同じ仲間にフジを分類してしまった。
フジは現在の分類体系ではフジ属Wisteriaに分類される。この属を提唱したのは、アメリカ合衆国の植物研究のパイオニアといわれているナットル(Thomas Nuttall)である。フジとアメリカの結びつきの理解に苦しむにちがいない。実はアメリカ合衆国東部にフジと瓜二つのアメリカフジがあり、ナットルがWisteriaとして発表したのはこのフジにもとづいたものである。属名はペンシルバニア大学の教授であったウィスター(C. Wister)に因む。
ジュネーヴの植物園で地球植物誌を構想し、その準備を進めていたドゥ・カンドルはこのアメリカフジとアジアのフジとシナフジが同じ仲間であることを喝破した。フジの学名Wisteria floribunda (Willd.) DC.の命名者(Willd.)DC.のカッコ内のWilld.はフジに最初の学名をダイズ属のもとで与えたウィルデナウを、DC.はこれをフジ属に分類したドゥ・カンドルを表す学名上の表記法である。

 フジはフジの仲間のうちで、葉が15から19と最も多くの小葉に分かれる。莢果の長さが10から15cmと最も長い。アメリカフジは小葉数ではフジとシナフジならびにヤマフジの中間にある。つまりアメリカフジの小葉の数は9から15であるが、シナフジとヤマフジは7から13である。一方、莢果ではアメリカフジとヤマフジが長さは5から10cmと短めだが、シナフジはフジと同長になる。もちろんつるの巻く方向とか、花の大きさなど他にも様々な相違点があり、この4種の区別を誤ることはめったにない。
フジとヤマフジは日本特産で広い範囲に野生する。もっともヤマフジはおおむね近畿地方以西で、フジは青森県まで分布する。ヤマフジはふつう左巻きで、葉は成長しても伏毛が残るが、フジは右巻きで、成長すると葉は無毛となる。フジもヤマフジも庭園で古くから栽培されてきた。花色や花序の長さ、八重咲きなど変異に富む。ノダナガフジは花序が長さ1mにもなり、これを植えた東京の牛島天神はフジの名所として有名だ。

 冒頭、シーボルトのフジの記述を紹介したが、シーボルトはフジは中国原産で日本に渡来した園芸植物だと考えていた。彼はフジに限らず多くの園芸向き植物の原産地を中国とした。日本に観賞価値の高い植物がないと考えたというよりも、高い美意識をもつ日本人が中国から持ち帰ったと捉えたのだろう。これは想像だが、シーボルトは、ちょうど日本人が中国に園芸価値をもつ植物を発見したように、日本の植物にある園芸的潜在価値を発見したのは自分自身であるといいたかったのだろう。

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Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。