大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」 |
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テーマ: カーネーション |
世界中で愛され、栽培されている植物の筆頭はカーネーションではないかと思う。また、母の日の花として誰もが一度は手にした花といえる。母の日の頃だけでなく、カーネーションは切花として一年中フラワー・ショップの店先を飾っている。 現在栽培されているカーネーションは学名をDianthus caryophyllusという種を基礎に、別の野生種を交配して人工的に造り出された園芸種である。基礎となったDianthus caryophyllusの原産地は明らかではないが、地中海地域とする学者もいる。 Dianthusという属名はギリシア語でゼウス(神)を意味するdiosと花anthosの組合せで、神の花を意味している。この名は植物学の始祖といわれるテオフラストスによって与えられたといわれている。種小名caryophyllusはギリシア語で丁字(チョウジ)をいうcaryophyllonによっていて、カーネーションの花の香りが丁字香に似ていることからきた。 テオフラストスが名づけた植物が今日のカーネーションあるいはその原種に当たる植物だったなら、カーネションの起源は2000年以上も前ということになる。カーネーションのような著名な植物では、それがいつ誕生したのかを明らかにするのはむずかしい。仮に古い文書にその名前があったとしても、絵でもない限りその記録がはたしてその植物を指すかどうか保証はないからだ。カーネーションでは、園芸種としての祖先に当たるものはルネサンス以降のヨーロッパで出現した、と一般には考えられている。 15・16世紀の有名な画家であるボッティチェッリの「春」のフロラが身にまとう衣服、コルバインの「商人ギーシュ」などにはカーネーションが描かれている。これはその頃にカーネーションが登場していた何よりの証拠だ。イギリスの有名な本草学者ジェラードは1597年の著作で、カーネーションがイギリスの寺院や庭園で栽培されていると書いている。これはまず間違えのない信頼できる記録といってよい。 カーネーションはその意味ではバラのように古代ギリシアやそれ以前にさかのぼる数千年の歴史を誇る花ではない。ルネサンス以降市民層の発展とともに広がり、愛好されてきた花といえるだろう。 カーネーションの花はほとんどが八重咲きで、一重咲きのものは少ない。八重咲きの花というのは多くの場合、雄しべが花弁状に変化してできる。しかし雄しべの数は花弁の2倍がふつうで、バラやサクラのような花弁の5倍以上の雄しべをもつ種があるバラ科やツバキ科を除くと、八重咲きといっても花弁数は限定的だ。 カーネーションの雄しべは10本だから、すべてが花弁化してもさほど目立つ八重咲き花にはならない。にもかかわらずカーネーションが異常に多い花弁をもつ八重咲き花となるのは、花弁そのものが奇形的にたくさんできる「器官重複」や、花の中に2次的に別途花ができてしまう「貫生」という特殊性によっている。 器官重複や貫生はふつうにはみられない性質であり、カーネーションが交配によって生み出された園芸種であるがゆえに生じた性質といえる。 世界で愛好されるカーネーションにはすでに3万以上の栽培品種が国際登録されている。もともとは一季咲きであったが、今日の栽培品種はほとんど四季咲き(パーペチュアル)で、いつでも花を手にすることができる。栽培での国際化も著しく、南米コロンビアのボゴタ高原のような栽培適地から、世界中の市場に向けての出荷が進んでいる。そのボゴタ高原のカーネーション農園は、平均で10ヘクタール(1ヘクタールは100メートル四方)もの圃場をもち、毎日市場の動向をみながら北アメリカ、ヨーロッパ、日本などに輸出されている。 最後にカーネーションの渡来について記しておこう。それは江戸時代初期のことでオランダ人を通じてである。有名な儒学者にして本草学者でもあった貝原益軒は1708年に著した「大和本草」で、また園芸家の伊藤伊兵衛は1733年の「地錦抄附録」で、カーネーションのオランダ名によるアンジャベルの名とともに紹介している。 |
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