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大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
 
 
テーマ: ライデンと植物 -1

シダレヤナギ  わずか数日の滞在も含めるとライデンにはもう10回は来ているだろう。アムステルダムからも近いこの町はオランダを代表する学術都市で、中心となっているのが1575年に創設されたライデン大学である。

1516年に建てられたというもとはドミニコ会修道女のための修道院が創設にともない転用された。この建物は現在、アカデミ-・ヘボウと呼ばれ、卒業式、学位授与式など、大学の重要な諸行事、教授会、講演会などに使用されている。教授会室の壁面を飾るあまたの歴代学長の肖像中には有名な哲学者ホイジンガなどを見出すことができる。


長いライデンの歴史で脚光を浴びる出来事といえば、アメリカ合衆国の最初の移住者となった102名の祖国を追われたイギリス人が乗船したメイフラワー号がここから船出したことがある。当時のライデンはもっと海に近かったのだ。ライデンは小さな大学の町であり、それだけに静かでもある。古色蒼然とした建物が多いが、それと隣り合わせに超モダーンな建物が建っていたりもする。風光は悪くはない。


ライデンは画家レンブラントの生まれ育った町でもある。レンブラントの描いた風景にライデンの光を感じるのはそのためともいえる。彼の作品の一角を町中に発見することはたやすい。


シーボルト・ハウス 私がライデンを訪ねるのはこの町がただ好きだからではない。日本から帰ったかのシーボルトが居を構え、日本で収集した標本や書物を整理し、日本の植物を栽培しヨーロッパ中に広めたのがライデンだったことが関係している。ライデンには世界有数でも指折りの博物館が3つもある。そのいずれもシーボルトの収集品があり、国立民族学博物館はシーボルトが初代館長だった。私の訪問の大半はシーボルトや彼の後継者が日本で収集した植物標本などの調べるためだった。シーボルトが帰国後に購入し住んだ建物が今シーボルト・ハウス(シーボルトフュィス)として公開されている。ラッペンブルクという名の運河に面して建つその建物にはシーボルトの日本での収集品が展示されていてちょっとした博物館になっている。私の定宿となっているホテルは運河の反対側にある古い富豪の住まいを改造したもので、屋根裏部屋の明かりとりのまん前にシーボルト・ハウスが望める。ライデンはドイツの広い範囲を流れるヨーロッパの大河ライン川の河口の町でもある。いたるところに運河が開け、今でも船でのピニックが盛んである。


ラッペンベルク運河もそのひとつで、先のアカデミー・ヘボウもシーボルト・ハウスからも近い運河沿いに建っている。 このアカデミー・ヘボウの横の小さな通路を抜けると大学の植物園がある。大きいとはいえないが、よく手入れが行き届いた居心地のよい植物園で、植物園を意味するラテン語ホルトゥス・ボタニクス(Hortus Botanicus)がその名だ。


シーボルト・ガーデン実はシーボルトは二度来日している。最初の来日は1823年から29年で、いわゆるシーボルト事件で国外追放の処分を受けての帰国だった。幕末の政情変化の中で処分が取り消され1860年から62年に再来日を果たした。ときにシーボルトは64歳だったが、精力的に活動し、植物の収集にも努めたのである。 ライデン大学の植物園には彼の再来日時に得た種子から育った植物がかなり生き残っている。その中には大木となり多数の枝を出して聳えるケヤキ、トチノキなどがある。園の中心にそんなには古くない朱泥色に塗られた日本風の瓦屋根付きの土塀(実際はコンクリート)に囲まれた日本庭園が造られ、入り口にはシーボルトのレリーフが彫まれている。


庭園には日本ではめったにみない日本産の植物も植えられており、興味深い。フジはヨーロッパの気候にも適しているらしく方々で植えられていて、花どきに訪れればその見事な花房を目にすることができそうだ。


日本ではまだ花には早いシュウメイギクが花盛りであり、メギも小さな黄色の花を開いていた。入口からかなりの範囲を密生したイカリソウが占め、続いて樹下のほとんどをフッキソウが被っている。シロヤマブキ、ツノハシバミ、ヒノキ、アスナロなどの若木、アキグミとナツグミ、ムラサキシキブ、スギ、クサギ、キンシバイ、アマチャ、アジサイ、ミヤギノハギ、メダケ、アズマネザサ、ヤブラン、オオバギボウシ、ノカンゾウなどが目に入る。興味を引いたのはフキだった。葉の直径が60cmにもなる大きなもので、しかも多数群生したそのさまは相観であった。かなりの面積に植えられていたチャルメルソウも興味を引くものだった。


シーボルトの胸像庭の奥にある破風造りの休息所の奥にシーボルトの胸像がアジサイに囲まれて建っている。茶目っ気ある目で庭の訪問者を眺めているようである。


庭園外であるが、1860-1862年植えたと書かれた大きなトチノキとオニグルミがある。樹高は30mに達する大木である。フジとヤマフジもシーボルトが種子をもたらした植物である。中国原産のイチョウとシンジュもシーボルトの種子によるのだろうか。


暑い夏のひとときを植物園で過ごすのは爽快である。空気が乾燥しているためか、樹陰は涼しい。多くの来園者が樹下で談論や昼寝を楽しんでいる。学術研究の場が市民の憩いの場としても定着しているといえよう。



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Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物- 2005年2月4日、大場秀章先生が中心メンバーの調査チームがネパール王国のムスタン地域で行った現地踏査の成果をまとめた著書「ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物-」の出版を記念して、講演会が開催されました。
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。