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大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
 
 
テーマ: ライデンと植物 -3

 日本から帰国したシーボルトは研究の傍ら、企業人としても活躍した。日本の植物をただ単に分類学的に研究するだけでなく、これをヨーロッパに広め庭園を一層魅力あるものにしようと考えたのだ。広めるとは日本の植物を広く頒布することにほかならない。彼は日本から持ち帰った植物をヨーロッパの気候に馴応させることを目的にした農場である「気候馴化植物園」をライデン郊外に設け、株を殖やし、種子を採取して目的を達成しようとした。彼の仕事ぶりを知るにつけ、シーボルトは今の日本で純粋研究に携わる大学人に日増しに求められている産学連携でのパイオニアだったように思われてくる。

 かつてシーボルトの気候馴化植物園があったライダードルプの辺りは今や高級住宅地と化しているが、その地区の道々に与えられた名前に「シーボルト通り」(Sieboldstrasse)とか「出島通り」(Decimastrasse)などいうのがあって、多少の所縁をしのぶことができる。

 住人に多少胡散臭い目でみられることはあるものの私はよくそこを歩く。シーボルトの時代この地は水はけの悪い健康に問題のある土地だったらしい。中心に池を設けた小さな広場があり、憩いの場になっている。池の周辺を中心に色々と植物が植えられている。池の端にガマがあったり、ヘメロカリス(Hemerocallis)、ブッデレヤ(フジフツギ)、アジサイ、大形のアカバナなどがあった。大きなヨーロッパブナが数本聳えてもいた。ダマスクローズと思われる香りのよいバラが忘れられたように咲いていた。しかし、シーボルトや気候馴化植物園で栽培されていたであろう植物の片鱗すら見出すことはできなかった。

 1844年と45年にシーボルトが公表したこの気候順化植物園での栽培する植物のリストには400を超える種類が載る。目ぼしい園芸上重要な植物はむろん、キジョラン、シラキ、イヌビワ、ノブドウなども掲載されており、その関心の広がりに驚く。日本では園芸植物として見向きもされなかったタケニグサは今やイギリスなどでは人気の園芸植物である。先入観にとらわれない導入が多くの野生植物の園芸植物としての潜在的価値を発見できたといえるだろう。

 あまたの園芸に供された日本の植物のリストになぜかヤマユリの名がない。ササユリ、テッポウユリ、カノコユリ、シロカノコユリ、スカシユリ、オニユリが掲載されるのに奇異な感じがする。しかし、ヤマユリはヨーロッパ(さらに北アメリカ)で球根を生かし続けることができなかったのである。

 シーボルトと彼の協力者による日本そして後には中国の植物の頒布事業は鎖国令が解れ日本からの園芸植物の輸出が軌道に乗るまで続いた。日本では横浜を中心に日本の植物を園芸用に輸出する貿易業者が誕生した。そのなかには北海道開拓使として来日後にボーマー商会を設立し、日本植物の輸出を手がけたルイス・ボーマーのような外国人もいた。花型の輸出品のひとつがヤマユリの球根だったのである。国外では生かし続けることができなかったためだ。神奈川県を中心に山取りされたヤマユリの球根が海を渡ったのである。

 ライデンは大量の日本植物の導入によってヨーロッパの庭園や園芸に変革をもたらした、園芸史上忘れられない町であるが、溯ればさらにひとつの重要な出来事がこの町から始まっていた。

 それは西ヨーロッパで最初のチューリップがライデン大学で開花したことである。ウィーンのオーストリア宮廷で侍医となっていた著名な医者であり薬学者兼植物学者であったクルシウスは、薬用以外の植物にも多大な関心を抱き研究に勤しんでいた。そんな彼のもとにトルコに大使として駐在していたブスベクからチューリップの球根がもたらされた。

 クルシウスはライデンに移る際にその球根を携え薬草園に植えたのである。当時は医学は薬草に頼っており、すぐれた薬草の研究には植物についての知識が欠かせなかった。この医学・薬学・植物学の三位一体化した当時の学問を本草学といった。ライデン大学に招聘されたクルシウスは当代最高の本草学者だった。

 大学の薬草園で開花したチューリプは何度も盗まれた。盗まれることを通じてチューリップへの関心がいやがうえにも高まったのである。やがて状況はマニアックなものとなり、何人ものチューリップ狂いした人を生んだ。球根の値は吊り上り、やがて投機的色彩さえ帯びてきた。全財産をチューリップに投資する人さえ現れたというから、相当なものである。

 一般に公開されている植物園から道ひとつ隔てたところに当時を復元した薬草園がある。全貌も可能なその小さな薬草園からやがて今日の植物学が発展したことを想うと感慨深い。さらに、クルシウスとシーボルトの遺産ともいうべきチューリップ、ハイドランジェア(アジサイ)そしてユリは今やオランダが誇る園芸産業のスターである。歴史を踏まえての産業発展といってよい。私の目に伝統的な園芸植物の多くが顧みられることもなく消去る日本の現状が重なる。

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Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物- 2005年2月4日、大場秀章先生が中心メンバーの調査チームがネパール王国のムスタン地域で行った現地踏査の成果をまとめた著書「ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物-」の出版を記念して、講演会が開催されました。
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。