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大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
 
 
テーマ: フロックス

フロックス  畑一面に咲いたナノハナやレンゲに見惚れたことはないだろうか。一面の稲田の実りにも似た感興を覚えるのは私だけではないだろう。

 複雑で豊かな自然に恵まれた日本では狭い場所に多様な植物が生えていて、ひとつの植物だけが一面に生え広がるような光景には滅多に出会えない。箱庭のような自然を愛でる一方で、一面のナノハナやレンゲにも心動かされるのは、それが反自然的なものだからでもあろう。

 主に東日本では最近花壇や道路脇の斜面などを一面に被うシバザクラをよく目にする。桜の花びらが一面芝地に落ちたような風情をもたらすこの植物にシバザクラは実によい名前だと思う。

 シバザクラの来歴には不明な部分も多いが、20世紀の初め頃日本に渡来し、栽培されるようになったらしい。村越三千男が大正14年(1925)に著した『大植物図鑑』には、名称はPhlox subulataの学名のみで紹介され、専ら観賞用にて栽培すると記述されている。昭和6年(1931)刊行の牧野富太郎・根本莞爾著『訂正増補日本植物総覧』にはハナツメクサの和名で登場する。太平洋戦争前に出版された他の書物にもハナツメクサの名はあるので、戦前はこの名で普及していたと想像される。

 シバザクラの仲間はハナシノブ科クサキョウチクトウ属(Phlox)に分類される。シバザクラをこの属名を音読みにしたフロックスと呼ぶこともあるが、クサキョウチクトウ属には他に多数の種があるので適切とはいえない。phloxはギリシア語で「炎」を意味し、多分燃えるような赤い花をもつある種の植物の名でもあったのだろう。クサキョウチクトウ属には67の野生種が知られており、シベリア産の1種以外はすべて北アメリカに産する。日本には自生しないが、シバザクラやクサキョウチクトウなど5種ほどが観賞用に栽培されている。

 シバザクラはすでに記したように学名をPhlox subulataといい、北アメリカの北東部に野生する。古くにヨーロッパに入り、丈夫で痩地にも育ち、またマット状に広がることから、花壇やグランドカバーでの栽培に適し、世界の温帯地域でのポピュラーな園芸植物になっている。

 日本では、シバザクラを自慢の一品として植えるというよりも、傾斜面や庭の隅などに植えおかれていることの方が多い。痩せた土地でもよく育ち、施肥にはあまり気をつかう必要がなく、人手をかけずに栽培できるからだろう。放りおかれたようなシバザクラでも、花の真っ盛りは見事である。ある山間部で路に沿って並ぶ人家の石垣や路傍の傾斜地すべてを埋め尽くすように紅色の花を開いたシバザクラに出会ったことがある。その光景を未だ鮮明に思い出すのはよほど印象的だったからだろう。

 シバザクラに花色が紅色のものだけではなく、白色のものもある。普及しているのは紅色のものだが、白花品は開花するとそこだけ一面に雪が積もったようで、これまた風情に富む。シバザクラは家々の花カタログにぜひとも加えていただきたい一品だと私は思う。

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Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物- 2005年2月4日、大場秀章先生が中心メンバーの調査チームがネパール王国のムスタン地域で行った現地踏査の成果をまとめた著書「ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物-」の出版を記念して、講演会が開催されました。
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。