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大場秀章先生の「草木花ないまぜ帳」
 
 
テーマ: ナズナ

ナズナ  正月の行事もだいぶ簡略化され、都会では元旦はともかく2日目からは日常と変らない生活を送る家も少なくない。にもかかわらず七草粥には根強い愛着があるらしく、7日が近づくと八百屋に七草粥セットが並ぶくらいだ。

  今では雑草を代表するナズナもそのひとつで、古くは食されていたことが判る。ナズナの名は僧昌住により日本で最初に編纂された辞書である『新撰字鏡』(900年)、また深根輔仁撰述の最初の本草辞典『本草和名』(918年)などに、「奈豆奈」、「奈都奈」、あるいは「奈都那」の読みがあり、古くから呼び習わされていたものであることが判る。また、江戸時代の元禄9(1696)年に成った宮崎安貞の『農業全書』には、「本草に冬至の後苗を生ず、二三月に茎出て、四月に子(種子のこと)を結ぶとあり、是は種ずして田畠之内又道のほとりなどにも、をのずから多く生ず、羹とし、あへ物、ひたし物に用ひてよし、東坡甚賞せし物也、種子を取蒔たるは殊更うるはしく、味もよし」とあって、田畑の畦などに自然に生えていたものも食用として利用しただけでなく、種子を蒔いて育てもしたことが判る。なお、上にいう本草(本草学)とは、薬草や薬物の素性や分類、薬効などを研究する学問で、江戸時代は博物学を代表した。

  日本海側の多雪地のように根雪に被われるわけではないが、近畿地方といえど早春は植物が生長するのには寒く、食となる野の植物も少なかった。湿地に生えるセリ、陽だまりのハコベやホトケノザを別とすれば、七草の半分以上は地際に多数の葉を叢生するロゼット植物であり、そのロゼットを刈り取って食したのだろう。生長した葉も食べられ、『農業全書』も記すように、羹もの、浸し物、和え物、さらには油炒めに利用された。また、刻んで飯に交ぜて炊くと香味のある菜飯にもなった。

  ナズナは、知らない人の方が少ないくらい知名度の高い草本で、日当たりのよい道端や田畑の畦などに生え、冬から早春はロゼットをつくって過ごす越年草である。ロゼットをつくる根生葉は先端部分が大きく、羽状に切れ込むが、全体の大きさやかたち、切れ込みの程度などは変化に富み、いくつかの種に分けられるのではないかとさえ思ってしまうほどだ。茎は春に伸び、高さ10cmから50cmになり、矢じり形の葉を互生する。3月から6月にかけて咲く花は総状花序につき、小さな白色の花弁をもっている。

  ナズナが体現している大きな変異性は、ナズナがもともと32個の体細胞染色体をもつ4倍体で、2つの16個の染色体をもつ2倍体種、すなわち地中海産のカプセラ・ルベラ種(Capsella rubella)とイタリア中部からギリシア西部に分布するカプセラ・グランディフロラ種(Capsella grandiflora)の交配によって生じた異質倍数体性に起因しているといえるだろう。つまり通常の植物種に比べて、遺伝子のレベルからして可塑性が大きいのだ。

  ナズナの仲間であるナズナ属(Capsella)には5種があり、ユーラシアに分布する。ナズナ自体もヨーロッパ原産と推定され、今ではその分布は北半球全体に広がっている。

  ナズナは学名をCapsella bursa-pastorisという。属名のcapsellaはナッツや干しブドウなどを入れる小箱の意味で、果実のかたちによっている。種小名bursa-pastorisは、牧人の(羊飼いの、pastoris)もつ小袋(ポシェット、bursa)で、ハート型をした果実のかたちが牧人の持ち歩く小物入れに似ていること因んだ命名である。ナズナにはペンペングサの名もある。これも果実のかたちに着目した名で、三味線の撥に似ていることからきた。

  惜しむらくはナズナを観賞を目的に栽培したという記録が私には見出せないことである。日頃路傍で見慣れていてあまりにも雑草然としているから、改めて鉢植えにして培養しようと思う人はいなかったのかもしれない。だが、雑草だからという一言で見下されて見向きもされないのは残念に思う。植物には貴賎の別はないからだ。プランターにこれを植え、観賞にも供するとともに、十二分に育ったときにはサラダとして用いてはどうだろうか。ときにはまた飯や粥に刻み入れ食してもよいのではないだろうか。


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Profile:

東京大学名誉教授
理学博士
大場 秀章 先生
(おおば ひであき)
ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物- 2005年2月4日、大場秀章先生が中心メンバーの調査チームがネパール王国のムスタン地域で行った現地踏査の成果をまとめた著書「ヒマラヤに花を追う-秘境ムスタンの植物-」の出版を記念して、講演会が開催されました。
東京大学名誉教授。植物分類学の権威であり、ヒマラヤに生育する植物研究の第一人者の大場秀章先生が、植物に関する興味深いコラムを毎月お届けします。大場秀章先生には、当社の緑育成財団が支援している「ネパールムスタン地域花卉資源発掘調査」の中心メンバーとしてご指導いただいています。